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いよいよ最高気温が「0度」を切ってマイナスの寒さになってきた北京。
少しの日差しでさえ貴重に感じるほどでできれば、日陰よりも日向を歩きたいって感じです。
北京に来たばかりの頃は、よく出かけていた「南鑼鼓巷」。
当時は、まだ「晩報!」と叫びながら新聞売りが歩いていたり、
鐘を鳴らしながら包丁砥ぎ屋さんの
自転車が通り過ぎていったりと生活感の漂う胡同でした。
カフェも2.3件ほどしかなく、舗装もされていない道だったので、
歩くと黒い靴が埃で白くなっていたなぁ・・・。
その頃は、カフェと言えばスタバくらいしかなかったので、
2環内に住んでいた私は、南鑼鼓巷まで行って、よく宿題をしていたものです。
以前からここ「南鑼鼓巷」には、ドミトリーがあったので
宿泊している外国人相手のカフェが出来て、そこに数少ないカフェを求めて
外国人も来るようになり、どちらかと言えば外国人の多い通りでした。
あれからどんどん様変わりして、今ではすっかり観光化された賑やかな通りになりました。
そして、北京にカフェが増えると共に外国人が減って連日中国人でいっぱいです。
古い家が店舗に変わり、玄関先で日向ぼっこをしていた老人、立ち話していたおばちゃんの姿が、
若者やカップルに変わった。
ん~、短い年月なのに変化が大きいから、なんだか歴史を見てきたような気持ちになるわ。
私が最初にこの南鑼鼓巷に来た目的は、「文字奶酪店」で、
西太后も食べていたと言う宮廷ヨーグルトなるものを食べること。
まず最初に、この通りの火付け役となったカフェバー「過客」でご飯を食べて、
ヨーグルトを食べに向かったんですが、
埃っぽくて全体的に黄色掛かった通りを今でもハッキリ覚えています。
今では、こんなに行列が出来るほどの人気店になりましたが、
当時は、ガラスケースの中にヨーグルトが並んで、
買い物帰りの主婦やお爺ちゃんが、休憩がてらヨーグルトを食べにふらりと立ち寄るような、
近所の老北京人に愛されていた店。
ガラスケースの中から陶器の茶碗に入ったヨーグルトを取り出してもらうと、
冷やされた器がとっても冷たかったのを思い出します。
雑誌に紹介されて連日たくさんの人が訪れるようになってから、
簡易化のためか今では、店内のテーブルも無くなり、
注文カウンターで希望のものを言って、受け取り窓口でヨーグルトを受け取るシステム。
器もプラスチックの容器に変わりました。
昔の佇まいが今思い出すと時間がゆっくりと流れていて良かったよな~、
なんて・・・・当時を知っている人は、少し寂しさを感じるんじゃないかしら・・・。
でも、時代と共に変化していくのは、当然のこと、お洒落な店内もまた素敵でした。
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