今日も小さな幸せ探ししています。
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2025/01/16/Thursday
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清西陵@世界遺産
2008/04/06/Sunday
清西陵に行ってきました。
皇族の眠る場所として 良くガイドブックに書かれているのは
「明の十三陵」で これは明の時代のもの。
中国の歴史で身近な清代の皇帝達が眠る場所は、
北京から東、西の方向2つに分かれ意外にひっそりと
遵化市の昌瑞山麓に「東陵」、
易県永寧山麓に「西陵」にあります。
昨年は、「東陵」に行ったので(東陵の記事は、こちら)
今回は、「西陵」を目指して友人達と足を伸ばしてみました。
でもね・・・
思ったよりも遠かったんですよ・・・。
2時間半で到着すると 予想していたけれど
道が工事中で途中から突如通行禁止だったのだぁ~
おかげで「ここは道路か?」と言いたくなるような
道をサファリツアーのように砂埃を巻き上げて
それは それは大変な道のりでした。
途中あまりの揺れに 天井に頭をぶつけたところが
今日は、「たんこぶ」になって触れないのよ~
やっとのことで到着した西陵は、
雍正、嘉慶、道光、光緒の4名の皇帝、
そして皇后3名と妃や親王など47名の陵墓があって
東陵の130名に比べたら規模的が小さい。
それに西太后は、東陵なので人気があるようで
こちらは、有名な皇帝が(と言うのも変ですが・・)少ないせい?か
修復も進んでいないため公開されていない処が多くて
現在3カ所しか公開されていませんでした。
共通券122元
バラ券47元 とチケット売り場には、書かれているものの
今現在は、共通券は、存在しなかった・・・・
これは、光緒帝の墓。
建物の後が古墳のようになっていて内部も見学出来ます。
地下に入ってみるとこんな感じで
いくつものレリーフが彫られた石の扉を抜けると
石室に棺が安置されていました。
ヒンヤリと冷たい空気に包まれていて
棺を開けた際は、まだ遺体は弾力もあってそのままの姿を
保っていたらしいです。
2つめの陵に行ってみると ちょうど皇帝が参拝に来ておられ
仰々しい雰囲気。
清明節の連休のため 催し物が行われるところでラッキーでした
観光客も少ないから どこからでも見られます。
北京に来てから中国の歴史に関する本を読むことが多くなったけれど
全て想像の世界。
本の世界でしか 分からなかったことが
こうして目の前で来る広げられていると
なかなか面白いもので 興味深く見てしまったわ。
冷気代の皇帝達も 遙々ここまで来て
こんな風に参拝したのでしょうね。
今日の皇帝は、気さくな笑顔で白い歯が印象的
やはり皇帝も「歯が命」なのでしょうかねぇ~・・・
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敦煌に向かってみれば
2007/11/07/Wednesday
え?!まだ続いていたの?!って言わないでね
なかなか進まなくて済みません!
このままフェイドアウトしちゃおうかしら?なんて思ったのですが
ここまで書いてきたので あともう少しお付き合い下さいマシ!
北京→ウルムチ→カシュガル→ウルムチ→トルファンと来て
最後の目的地「敦煌」までは、夜行列車で向かいました。
トルファンの駅は、回りも駅構内も
なーんにも無い小さな駅だった。
手元に切符はなく、ウルムチから私たちの切符で
列車に乗り込んでココで 私たちと入れ替わる事になっている。
「本当にその人、来るのかな・・・?」とちょっと不安になるが
とりあえず話しは通っているようで
駅に到着したら「貴賓室」に案内された。
凄く大きな部屋にフカフカの皮のソファが並んで
とても立派だけどガラーンとして寒々しい部屋だ。
一般の待合室に比べたら」天と地との差」である「貴賓室」。
100人くらいは、入れそうな部屋にポツンと座り
1杯15元のインスタント珈琲を飲みながら
列車が来るのを待つことにした。
無事にウルムチから遙々乗ってきてくれたおっちゃんと会え
列車に乗り込んだ。
私は、列車の旅も意外に好きなのだが
最近の中国の列車は、捨てたモンじゃないね。
翌朝、目を覚ますと
窓の外は、こんな景色が広がっていた。
どこまで走ってもその景色は。永遠に変わらず
「地球が誕生した頃ってこんな感じかも?
なんだか恐竜でも登場しそうだな~」なんて
突拍子も無いことが頭に浮かんでくる私。
ちょっと人と発想が違うようです。
日本に住んでいた頃は、
こんな世界があるなんてあまり考えたこともなかったが
本当に地球は・・いや中国だけでも広いな・・・と感じる。
もっと たくさんの国を回ったら
もっともっと驚きと感動の景色が広がっているんだろうね。
朝、7時に無事 柳園駅に到着した。
この柳園から敦煌市内までは、130km車で約2時間ほどの距離だ。
最近、敦煌市近くに列車の駅を建設していて
トルファン→敦煌駅までの列車もあるらしいが
私たちは、切符が取れなくて ここで車に乗り込んで市内に向かった。
・・・・・・が
1時間ほど 走ったところでタイヤが裂けた!!
え”~こんなに裂けちゃうものなの??
辺りを見回しても 他に車もなく・・・・ちょっと不安。
タイヤ交換なんてしたことない私・・
あ~~ひとりじゃなくて良かったと思った瞬間でした。
なかなか進まなくて済みません!
このままフェイドアウトしちゃおうかしら?なんて思ったのですが
ここまで書いてきたので あともう少しお付き合い下さいマシ!
北京→ウルムチ→カシュガル→ウルムチ→トルファンと来て
最後の目的地「敦煌」までは、夜行列車で向かいました。
トルファンの駅は、回りも駅構内も
なーんにも無い小さな駅だった。
手元に切符はなく、ウルムチから私たちの切符で
列車に乗り込んでココで 私たちと入れ替わる事になっている。
「本当にその人、来るのかな・・・?」とちょっと不安になるが
とりあえず話しは通っているようで
駅に到着したら「貴賓室」に案内された。
凄く大きな部屋にフカフカの皮のソファが並んで
とても立派だけどガラーンとして寒々しい部屋だ。
一般の待合室に比べたら」天と地との差」である「貴賓室」。
100人くらいは、入れそうな部屋にポツンと座り
1杯15元のインスタント珈琲を飲みながら
列車が来るのを待つことにした。
無事にウルムチから遙々乗ってきてくれたおっちゃんと会え
列車に乗り込んだ。
私は、列車の旅も意外に好きなのだが
最近の中国の列車は、捨てたモンじゃないね。
翌朝、目を覚ますと
窓の外は、こんな景色が広がっていた。
どこまで走ってもその景色は。永遠に変わらず
「地球が誕生した頃ってこんな感じかも?
なんだか恐竜でも登場しそうだな~」なんて
突拍子も無いことが頭に浮かんでくる私。
ちょっと人と発想が違うようです。
日本に住んでいた頃は、
こんな世界があるなんてあまり考えたこともなかったが
本当に地球は・・いや中国だけでも広いな・・・と感じる。
もっと たくさんの国を回ったら
もっともっと驚きと感動の景色が広がっているんだろうね。
朝、7時に無事 柳園駅に到着した。
この柳園から敦煌市内までは、130km車で約2時間ほどの距離だ。
最近、敦煌市近くに列車の駅を建設していて
トルファン→敦煌駅までの列車もあるらしいが
私たちは、切符が取れなくて ここで車に乗り込んで市内に向かった。
・・・・・・が
1時間ほど 走ったところでタイヤが裂けた!!
え”~こんなに裂けちゃうものなの??
辺りを見回しても 他に車もなく・・・・ちょっと不安。
タイヤ交換なんてしたことない私・・
あ~~ひとりじゃなくて良かったと思った瞬間でした。
シルクロードのオアシス
2007/10/28/Sunday
今回旅をしたシルクロードは、降水量がとっても少ない土地です。
このトルファンは、年間の降水量が
わずか日本の夕立1回分にすぎないんです。
そんな乾いた土地に潤いをもたらすオアシス。
このオアシスの存在する都市が点在していると言った感じです。
トルファンは、3の地下水路を利用したオアシス都市なんです。
天山山脈の雪解け水を地下水路で
街まで引いて生活用水や農業に利用しています。
なんとその総延長は、5000km!
こんな距離に水路を通すことは、きっと大変だったでしょうね
だって 今の時代のように大きなシャベルカーや
器具など無いため 人の手による地道な作業。
ホントに気が遠くなるような話しです。
この広い砂漠の中、どのように作ったのかというと
まず、水脈を探して ひと1人が通れる穴を掘る
↓
写真のように一定の間隔で縦穴を幾つも掘下げる
↓
その縦穴を横に緩やかな傾斜をつけながら結んでいく。
そして住宅区域まで地下水路が届くようにするのです。
何もない道路に無数のそんな縦穴を掘った時の
たくさんの砂が盛りあげられていて それが何キロも続いています。
そんな地下水路を利用したオアシスをカレーズと呼ぶのですが
その貴重な水を利用して
たくさんの葡萄が豊富に実っている光景を見ると
トルファンの人たちの汗と力で成し遂げたオアシス作りに感動してしまいました。
このトルファンは、年間の降水量が
わずか日本の夕立1回分にすぎないんです。
そんな乾いた土地に潤いをもたらすオアシス。
このオアシスの存在する都市が点在していると言った感じです。
オアシスには、3つのタイプがあって
1,河川の水を利用したオアシス
(カシュガルやホータンなど)
2,わき水を利用したオアシス
3,地下水路を利用したオアシス
1,河川の水を利用したオアシス
(カシュガルやホータンなど)
2,わき水を利用したオアシス
3,地下水路を利用したオアシス
トルファンは、3の地下水路を利用したオアシス都市なんです。
天山山脈の雪解け水を地下水路で
街まで引いて生活用水や農業に利用しています。
なんとその総延長は、5000km!
こんな距離に水路を通すことは、きっと大変だったでしょうね
だって 今の時代のように大きなシャベルカーや
器具など無いため 人の手による地道な作業。
ホントに気が遠くなるような話しです。
この広い砂漠の中、どのように作ったのかというと
まず、水脈を探して ひと1人が通れる穴を掘る
↓
写真のように一定の間隔で縦穴を幾つも掘下げる
↓
その縦穴を横に緩やかな傾斜をつけながら結んでいく。
そして住宅区域まで地下水路が届くようにするのです。
何もない道路に無数のそんな縦穴を掘った時の
たくさんの砂が盛りあげられていて それが何キロも続いています。
そんな地下水路を利用したオアシスをカレーズと呼ぶのですが
その貴重な水を利用して
たくさんの葡萄が豊富に実っている光景を見ると
トルファンの人たちの汗と力で成し遂げたオアシス作りに感動してしまいました。
メラメラと燃える山
2007/10/27/Saturday
まるで炎がメラメラと燃えているようにそびえ立つ山、
その名も火焔山(カエンザン)。
トルファン盆地の中央に東西100km、南北10kmに渡って
こんな燃えるような山々が続いています。
そして 夏場になると60度にもなって
山肌から立ち上る陽炎が
まるで燃え上がっているように見えることから
この「火焔山」と呼ばれるようになったそうです。
夏場にこの地に卵や芋を埋めておくと
茹で上がってしまうとか・・・・夏場の観光じゃなくて良かったわ
「西遊記」の物語でもこの地が舞台となったのは、ご存じですか?
孫悟空や三蔵法師達一行の前に立ちはだかった火焔山が
メラメラと燃え上がり彼らの行く手を遮って
その炎を消せる芭蕉扇を手に入れるために
孫悟空が活躍したと言うストーリーらしい。
子供の頃に「西遊記」を見たことがあるけれど
あまり詳しい内容は、覚えていないので
もう1度 見てみたいようなそんな気になりました。
そんな燃えるように激しく見える山の合間を抜けて
新彊で有名な仏教石窟のひとつ
「ベゼクリク千仏洞」に向かいました。
6世紀から始まって長い年月をかけて掘り続けられてきた
この石窟は、当時、トルファン帝国の王族達の寺院でした。
でもね 残念なことにイスラム教がトルファンで信仰活動を
始めると共に仏教寺院であるこの石窟内の石像や
壁画など破壊され またそれ以外にも
外国人探検家によって持ち去られたりしてしまって
現在は、顔の部分を全て削り取られた仏画、
岩の山となってしまった祭壇、など無惨な姿になっていました。
その外国人探検家のなかに「日本」も含まれていて
ちょっと恥ずかしいような。。申し訳ないような気持ちでしたよ・・。
以前 バーミヤンの遺跡破壊をTVでご覧になった方も
いらっしゃるかと思いますが
二度と戻らない文化遺産なので 残念でなりません。
その名も火焔山(カエンザン)。
トルファン盆地の中央に東西100km、南北10kmに渡って
こんな燃えるような山々が続いています。
そして 夏場になると60度にもなって
山肌から立ち上る陽炎が
まるで燃え上がっているように見えることから
この「火焔山」と呼ばれるようになったそうです。
夏場にこの地に卵や芋を埋めておくと
茹で上がってしまうとか・・・・夏場の観光じゃなくて良かったわ
「西遊記」の物語でもこの地が舞台となったのは、ご存じですか?
孫悟空や三蔵法師達一行の前に立ちはだかった火焔山が
メラメラと燃え上がり彼らの行く手を遮って
その炎を消せる芭蕉扇を手に入れるために
孫悟空が活躍したと言うストーリーらしい。
子供の頃に「西遊記」を見たことがあるけれど
あまり詳しい内容は、覚えていないので
もう1度 見てみたいようなそんな気になりました。
そんな燃えるように激しく見える山の合間を抜けて
新彊で有名な仏教石窟のひとつ
「ベゼクリク千仏洞」に向かいました。
6世紀から始まって長い年月をかけて掘り続けられてきた
この石窟は、当時、トルファン帝国の王族達の寺院でした。
でもね 残念なことにイスラム教がトルファンで信仰活動を
始めると共に仏教寺院であるこの石窟内の石像や
壁画など破壊され またそれ以外にも
外国人探検家によって持ち去られたりしてしまって
現在は、顔の部分を全て削り取られた仏画、
岩の山となってしまった祭壇、など無惨な姿になっていました。
その外国人探検家のなかに「日本」も含まれていて
ちょっと恥ずかしいような。。申し訳ないような気持ちでしたよ・・。
以前 バーミヤンの遺跡破壊をTVでご覧になった方も
いらっしゃるかと思いますが
二度と戻らない文化遺産なので 残念でなりません。
シルクロードで栄えた国@高昌故城
2007/10/23/Tuesday
トルファン市街から45kmほど車で行ったところに
ある「高昌故城」。
5世紀末、この地に国が存在し 1000年に渡って
繁栄していたのだそうだ。
総面積が200万㎡の広い地にたくさんの遺跡が
地平線まで存在して見えそのスケールの大きさに
ただただ 言葉を失ってしまうほどだ。
敷地内に入るとロバ車に乗っての移動となる。
よくロバの荷車は見た事はあるけど
乗ったのは、初めて!!
砂利道をガタガタと揺られながら
風化された遺跡のなかを進んでいくのは、
なんとも雄大で 風が気持ちいい~~~。
残念な事に
破損が激しくて 建物の様子は、まったく想像出来ない。
あまりにも風化された景色と乾いた風のみの世界で
ただミルク珈琲色の景色がどこまでも続いている・・・・。
その中に立ち ぐるりと見渡すと
なんでだろう・・・・
はかなさと少し物悲しい思いでいっぱいになってくる。
遠い昔、やマルコポーロや三蔵法師と言われている玄奨が
この地を訪れ ここで説法などをしたそうだ。
歴史の教科書で見た名前の人物と同じ場所に
今、自分も立っている・・
でもね
いまいちピンと来なくて
歴史の古さを実感出来ない自分がいるのでした。
ところ変わって ただの何でもない砂山の写真、
ここは、この最初に説明した国が存在した時の
貴族の墓が点在する「アスターナ古墳」で
現在は、2000基もある内の4基だけ公開されている。
地下に続く階段を下りていくと
空間が広がり鮮やかに着色された花や鳥、人を
モチーフにした壁画やミイラなどを見ることが出来る。
中は、撮影禁止のためお見せ出来ませんが
この乾燥した気候が適しているのか
そのミイラは、とても綺麗な状態で安置されていた。
プロフィール
HN:
ミント
性別:
女性
自己紹介:
横浜から上海、北京と移り住んで、 よっと疲れが出てきた10年目にしてやっと日本に帰国しました。今度は横浜で日々の楽しみや小さな幸せを見つけて生きてます。
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